受領とはなにか 後編【光る君へ】

大河

はじめに

前編ではそもそも国司とはなにか、「受領」の成立背景について触れてきました。
今回は、具体的な政務についてなど、実態に迫っていきたいと思います。

受領の資格と任命

資格

受領には誰でもなれたわけではありません。新たに受領になるためには、五位の位階があり、特定の要職を努めた(蔵人・式部丞・民部丞・検非違使など)経験があることが必要でした。

任命システム

上記の資格を持った人物の中から、公卿たち自身が個人的に推薦する人物、会議において選別された人物が天皇に奏上され、それを参考に天皇が受領を任命しました。
 ですから、摂政・関白や公卿たちに、受領階級の貴族が贈り物をする事例が多く見られます。
例えば、酒呑童子の討伐で有名な源頼光は、藤原道長の家の新築に際して厨子・屏風など家の中の雑具多数を贈ったということが知られています。
なお、10世紀になると、成功といって、内裏の造営などを行って受領になるパターンも出てきました。

受領の赴任

受領は京を離れ、任地へ赴かないといけないのですが、その際には色々な儀式がありました。
それについては、少し道長の時代より後の時代ですが、承徳2年(1098)、因幡守に任じられた平時範が詳しい記録を残しているのでそれを参考に、流れをかいつまんで説明します。
時範は、承徳3年(1099)2月8日、天皇らに対し儀式「罷申」を行いました。
これは、国司となるにあたってスピーチをし、通常お目見えできない天皇から言葉をかけてもらうというものです。
これは、国司は本来クニノミコトモチと訓み、天皇の言葉を承って、国に赴き、政治をするということが本質であるので、このような儀式が行われたのです。
そして、2月9日に京を出発しますが、その時には、陰陽師が道中の安全を祈る「反閇(へんぱい)の儀」を行いました。
そして、2月15日、因幡の国境に着き「境迎の儀」を行いました。
これは、時範が峰の上にたち、現地の在庁官人たちが順番に一人ずつ名乗りを上げるというものでした。そしてその後仮屋に赴き、書類への国印の押印など事務作業を行い、
国司の館に行って、宴会が執り行われました。
26日には、国内の神社を参拝し、3月2日になってようやく、受領としての仕事(神社の修理を命じる書類への押印など)が始まります。
こうして追っていくと、なかなかに煩雑な儀式ですが、これから支配を行うということを、現地の有力者に認めさせる、大切なものだったのです。

在地支配の方法

受領はどのように税金を徴収したのでしょうか。
よく知られているように、もともと税は戸籍をもとに人に対して課されていました。
しかし8世紀ごろから、女性が圧倒的に多いなど戸籍を偽造する風潮が見られるようになり、戸籍をもとにした課税というのは困難になりました。
そこで、公田(公の支配を受ける土地)を「名」と呼ばれる単位に編成し、
富豪層と呼ばれる有力農民などを責任者(「負名」と呼ばれます)として徴税を請け負わせました。
つまり、郡司を通してではなく、直接農民を把握し、土地の面積に対して課税し、税金を徴収していたのです。

参考文献

川尻秋生『シリーズ日本古代史5 平安京遷都』岩波書店、2011年

古瀬奈津子『シリーズ日本古代史6 摂関政治』岩波書店、2011年

佐藤信『古代史講義』筑摩書房、2018年

 

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