「関白」「摂政」とは

大河

はじめに

「光る君へ」でも出てくる、朝廷の役職「関白」「摂政」。
これらは似ているようで微妙に違う役職でした。
また、由来や成立事情も異なります。
これらについて簡単に説明します。

関白について

由来

さて「関白」とは、そもそもどういう意味なのでしょうか。
その言葉の由来は、「天下の万機を関(あずか)り白(もう)す」という漢文から来ています。
現代語にすると、世の中のことは何事でも(天皇の政務に関わるすべてを)あずかって、意見を言上する、ということです。

成立について

諸説ありますが、有力な説はこれです。
50代になってから即位した光孝天皇が、即位に尽力した太政大臣藤原基経に対して恩を感じ、高い地位を与えようとしました。
それで、光孝天皇は基経に対して、元慶8年(880)、「今日から太政官にあって私を補佐し、百官を統率せよ。天皇への奏上の際や命令の下達の際には、必ず、まず基経に諮問し、基経もそれを受けるように」との命令書を与えたのです。
これが実質的な関白のはじまりとされています。

平安期の関白の役割

関白は、天皇のそばにあって第一の家臣として、補佐する役職です。
具体的に言うと、天皇と太政官と呼ばれる国家の行政機関の間に立って、官奏(太政官の筆頭公卿が下からの具申など披露して意見し裁可を仰ぐこと)や叙位除目(位階や官位の叙任)等において天皇に上申される文書、または天皇から下達される文書を取捨選択することができたのです。
すなわち、天皇の命令を出す/出さないを自らの意思でコントロールすることができたというわけです。
しかし、関白は、太政官自体を支配し、太政官に関する様々なことを独裁的に行える権限はありませんでした。
なぜならば、太政官の会議や政務に直接関われなかったからです。
ですから、関白だからといって必ずしも朝廷を支配できるわけではなく、藤原頼忠のような、名ばかりの関白もいたのです。

摂政について

由来

「摂政」とは、「天下の政(まつりごと)を摂行せしむ」、要約すると、国家の政治を執り行えという勅書の中の文言が由来です。

成立について

成立時期は見解が割れています。
大まか分けると、

①天安2年(858)、清和天皇が幼くして即位した時、藤原良房が摂政となり成立した
②貞観8年(866)、応天門の変が起き、朝廷の中が混乱している時、清和天皇が引退状態にあった藤原良房に対して、由来で触れた勅書を与えた時に摂政は成立した
③貞観18年(876)清和天皇から陽成天皇に譲位した際、藤原基経に「良房が補佐したのと同じように陽成天皇を補佐せよ」との命令が出された時に成立した

このような三つの説があります。

平安期の摂政の役割

摂政は幼い天皇の代理人として、天皇の持っている大権を代行しました。
具体的な例で言うと、叙位(位階を与える)、任官(官職を与える)など人事を行う、官奏を代わりに受けるなどの職務を行いました。

参考文献

川尻秋生『シリーズ日本古代史5 平安京遷都』岩波書店、2011年

古瀬奈津子『シリーズ日本古代史6 摂関政治』岩波書店、2011年

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