【光る君へ】藤原道長はなぜ権力を得た?わかりやすく解説

大河

はじめに

今、放送中の大河「光る君へ」に登場する藤原道長。
彼は生まれたとき、父藤原兼家は公卿(朝廷に仕える高位の役人、三位以上の貴族を指す)にすらなっていませんでした。
しかも道長は5男であり、とうてい政権の座につける立場ではありませんでした。
しかし、道長は父兼家の摂政就任やライバルの相次ぐ脱落により権力を手にしました。
順を追って説明していきます。

兼家の摂政就任と道長の出世

光る君への10回「月夜の陰謀」でも出てきましたが、藤原兼家は、寛和2年(986)、花山天皇を騙して出家、退位に追い込み、7歳の孫の懐仁親王を天皇として即位させました(一条天皇)。そして、摂政に就任し、朝廷において大きな力を振るうことになりました。
摂政は、位階を与えたり、官職を与えたりする権限を持っていました。
それゆえ、息子など身内をどんどん昇進させ、より良い官職に就けていきます。
それに伴い、息子である道長も急速に昇進していき、永延元年(987)には従三位の位階になり、公卿となりました。
また、永延2年(988)には、権中納言となって、深く政治に関わるようになったのです。このときわずか23歳でした。

兼家の死と道隆の全盛

兼家は、正暦元年(990)7月、病気のため没しました。
その跡は、長男の道隆が継ぐことになり、正暦元年(990)10月、摂政に任じられました。道長は正暦2年(991)に権大納言になったものの昇進は一旦ストップしました。
道隆には長男伊周がいて、そちらが後継者に予定されていたのもあるでしょう。
さらに、伊周は、正暦5年(994)、道長より格上の内大臣になり追い越されてしまいました。
また、道隆は、一条天皇に娘の定子を嫁がせており、そして、正暦4年(993)には関白になって(なお摂政になる前、一瞬だけ関白になっているので再任)体制は盤石でした。
このまま、道長は権大納言止まりの脇役として歴史の中に消えていく運命かと思われた
その時、転機が起きます。

道隆、道兼の相次ぐ死と右大臣就任

それは、道隆、その跡を継いだ次兄道兼が病没したことです。
順を追って見ていきましょう。
まず、長徳元年(994)初頭、道隆が重い病気にかかります。がもちろん、道隆としては、子に権力を継がせたい、そういう思いがあり、2度、一条天皇に伊周を関白にするよう要請しますが、却下されました。
失意のうちに、道隆は長徳元年(994)4月10日に死去したのでした。
同年4月17日、道長の次兄の道兼が関白となりますが、5月7日にはしかで死去します。
こうして、道長の出番が回ってきました。
5月11日、道長に、内覧の職(天皇への意見、天皇の命令をあらかじめ見ることができる職。)に着くように辞令が下り、6月10日には右大臣になりました。
一応、ランクとしては右大臣の上には、左大臣がおりましたが、その任にあった源重信ははしかで死去していたので、この時、実質的に朝廷内の頂点に立ったのです。
この時、なぜ道長が選ばれたのか。それは、姉で一条天皇の母である、東三条院藤原詮子が、天皇に強く推薦したからと考えられます。
詮子が道長を推した理由は、単純に兄弟姉妹の中でも関係が深かったからと考えられます。例えば正暦2年(991)11月3日以降、道長の家を住む家として過ごすようになっています。
なお、なぜ関白でないのか。それは、もとの官職が権大納言であり、いきなりはるか上の関白となるのは問題があったからです。

伊周の失脚

こうして、権力者になった道長でしたが、まだ完全には力を発揮できていませんでした。
なぜならば、道隆の子伊周一派がまだ朝廷内にいたからです。
道長とこの事態を快く思わない伊周およびその弟隆家とは激しい争いを朝廷内外で引き起こしており、長徳元年(994)7月末には両者の従者同士が京都のど真ん中で合戦を行うまでに発展します。
しかし、ある事件がきっかけで、伊周らが失脚することになります。
それは、長徳の変と呼ばれる事件です。
花山法皇(出家したので法皇となった)と伊周・隆家が争いを起こし花山法皇の従者の童2人を殺害した事件です。
退位したとはいえ、法皇と争いに及ぶのは朝廷内で大問題となり、伊周と隆家には官位の降格及び地方に左遷されるという処分が下され、完全に失脚したのでした。
なお、よく知られている原因としては伊周と花山法皇とが通っていた女性を巡って争いを起こしたと言われていますが、これは「栄花物語」というかなり道長よりで脚色の多い歴史物語が出典なので、信憑性には微妙なところがあります。
こうして、ライバルが失脚した道長は、7月20日に左大臣となり、名実ともに、朝廷の頂点に立ったのでした。

参考文献

古瀬奈津子『シリーズ日本古代史6 摂関政治』岩波書店、2011年

倉本一宏『増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代』文春新書、2023年

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