はじめに
今日は、出番があった「べらぼう」平賀源内(安田顕さんが演じる)の人生について、第3回をお送りします。
源内の一番忙しい年、宝暦13年(1763)~明和2年(1765)について書いていきたいと思います。
『物類品隲』を刊行
宝暦13年(1763)、源内は『物類品隲』を刊行しました。
これは、5回の薬品会で出品された合計2000あまりの品の中から、重要だと思われる360種について記したものです。
石鹸や、サフランなど西洋のものを多く所載し、蘭学知識も広範に取り入れた源内らしい著作でした。
小説『根南志具佐』『風流志道軒伝』の衝撃
さて、このように著作を刊行するなど、順調に本草学者として歩み始めたのですが、
今度は長編の談義本(小説)を書きます。
『根南志具佐』という作品です。
ストーリーがなかなかおもしろいので、機会があったら取り上げたいと思います。
また、滑稽本『風流志道軒伝』も書きました。
これは有名な講釈師を主人公とした、伝記風のフィクションです。
源内をモデルとした人物も登場し、言いたい放題する内容になっています。
これらの執筆のきっかけは、藍水一門の後藤梨春が『竜宮船』という文学作品を出し収入を得ていましたので、それに影響を受けたのかもしれません。
これらは、世間に衝撃を与え、構想、書きぶりを真似する人があとをたちませんでした。
そして、源内は「作者の巨擘(おやだま)」と評されるほどになったのです。
火浣布の織り出し
宝暦13年は源内にとって重要な年で、まだまだイベントがありました。
もう一つは、武蔵国猪俣村の中島利兵衛に会ったことです。
薬品会に滑石を出品するなど、本草学に理解があった人物のようで、知り合いを介して、交流が始まったのです。
宝暦14年(1764)、源内は、利兵衛の家を訪問し、山登りに出かけ、秩父両神山(埼玉県秩父郡小鹿野町と秩父市の境目にある山)でアスベストを発見します。
かねてより、中川淳庵からこのアスベストで燃えない布が織れないか、という話を聞いていた源内は、これをきっかけに製作に取り組みます。
これには、中島利兵衛も一族で協力し、ついに2月、燃えない布、火浣布の織り出しに成功したのでした。
ただし、それは、わずか2センチ強の小さな香敷でした。
源内はこれを藍水に贈りました。そして、幕府へと再び献上されたのでした。
その後、幕府から輸出用のサンプル製作の依頼があり、これをすぐさま製作しました。
これは、長崎に来ていた清の商人たちの目に止まり、羽織を織ってくれと注文が来ました。
が、その大きさのものはアスベストの質的に、また技術的に難しく、製作は難航しました。
明和2年(1765)3月、源内は武蔵国中津川(現在の埼玉県秩父市中津川地区)にアスベストを探しにいったものの、質の良いものはうまく見つからず、「かんすい石」を見つけるのみでした。
これにより、熱は冷めてしまったようで、源内は鉱山など別なことに目を向け始めるのです。
なお、8月には、この火浣布の故事来歴、世間の反響などをまとめた『火浣布略説』という本を出版しています。
まとめ
平賀源内は宝暦13年(1763)に薬品会の物品の解説本『物類品隲』を刊行しました。この著作のほか、長編小説『根南志具佐』や滑稽本『風流志道軒伝』も執筆し、「作者の巨擘」と評されました。
また、翌年には秩父でアスベストを発見し、燃えない布「火浣布」を製作。清の商人の注目を集め羽織の注文が来ましたが、製作は困難で、源内の熱は冷めてしまいました。
参考文献・付記
城福勇『平賀源内』吉川弘文館、
2021年、初出1971年
土井康弘『本草学者 平賀源内』講談社、2008年


