はじめに
紫式部のパパ・為時が越前守となり、先週の第22話から越前編が始まりましたね。
さて、為時が任じられた越前守はこの時代においては「受領」と呼ばれる存在でした。
一体どんなものだったのか詳しく解説します。
国司とは
都から派遣される一国の統治に関わる役人、それが国司です。
階級は4つに分かれます。
トップは「守」、二番目は「介」、三番目が「掾」、四番目が「目」です。
この四等官全員の連帯責任により統治の運営は行われていました。
行政・司法・警察などに携わり、中央に対して毎年報告の義務がありました。
なお、調庸などの税金を中央に納める義務もあり、もし前任者に未納分がある場合は、それを徴収する必要がありました。
任期は度々改定がなされ、4年になったり、6年になったりしましたが、承和2年(835)年以降は基本的に4年になりました。
国司を支えた郡司制
国の下の行政単位として郡というものがありました。
郡司がその長官でしたが、これは国造などの地方の伝統的豪族が任じられました。
この郡司が郡内の民衆を直接把握し、権威を発揮して調庸の徴収にあたっており、国司はこれら郡司の力なしには統治できなかったと言ってよいでしょう。
未納問題と「受領」の成立
8世紀後半から9世紀ごろになると、郡司の権威が弱まり、新たな有力農民層が出現してきました。それにより、国司が直接、その国内を支配するようになりました。
また、調庸の未納が頻発するようになりました。
本来ならば国司全員が責任をとって、未納分は徴収しなければなりませんが、それはなくなり、次第に「守」に調庸の納入の責任が集中する体制に移行しました。
あまりにも未納が増え、どんどん蓄積していったので、本来ならば遡って徴収することになっていた制度が改革されました。
具体的に言うと、仁和4年(888)には、現在の「守」が以前の国司の未納の責任を取ることはなくなり、その代わりに、未納分の10分の1を毎年の調庸の納入額に加算して納めるといった規定が定められました。
また、未納がもしあれば、任期終了を認めないことも定められました(なお、この2年後、責任範囲を前任者の最終年のみ、また未納分の10分1ではなく毎年納める額の10分1と、調庸の納入額を現実に合わせて軽減させる方針に変更となりました。)
こうして、全責任を持ち、単独で4年間の国務を担う「守」が担う体制が成立し、この「守」を「受領」と呼ぶようになったのです。
なお、「受領」という言葉の語源は、新任の「守」が前任の「守」から国務と国府の倉に納められている品々を引き継ぐこと、すなわち受領することから来ています。
おわりに
長いので今回は分割します。
後編ではどう任命されるのか、具体的な政務の様子などについて触れていきたいと思います。
参考文献
川尻秋生『シリーズ日本古代史5 平安京遷都』岩波書店、2011年
古瀬奈津子『シリーズ日本古代史6 摂関政治』岩波書店、2011年
佐藤信『古代史講義』筑摩書房、2018年


